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スピリチュアルって何だろう?

スピリチュアルって何だろう?

スピリチュアルというのは、哲学や心理学を含めた事象の総称と位置づけ、もっと気軽に心と向き合い、それぞれが自分自身を成長させていくための「自己啓発的エッセンス」と、とらえることが大切です。ですから、世の中のどのような宗教、オカルト系団体とも一切関係はなく、ただそこにあって誰もが個人的に取り入れることができるものです。そして寄りかかるものでもありません。

前提は単純で難しいことはなく、「優しさ、思いやり、謙虚で誠実な心をもって、人や社会の中で生きていく」ということだけです。全ての人々の普遍的な道徳的倫理観として、そうあることが理想だと語るとき、これを否定する必要性はどこにもないでしょう。

スピリチュアルという言葉は表現の仕方の一つにすぎません。

スピリチュアルというのは、そもそもなんなのか?

皆さんはスピリチュアルと聞いて、何をイメージするでしょうか。

実際のところ、日本でいう「スピリチュアル」という概念は明確に定義されているものでは全くありません。また、日本において海外とはまた違った概念が広がってしまっている印象をうけます。スピリチュアルとは英語で情緒性を表現するニュアンスが含まれる言葉で、日本での捉われ方は少しオーバーです。

スピリチュアルとはこういうものだ!!というのはありませんし、定義づけて押し付けるものでもありません。答えがあるものばかりじゃありませんし、まだ解明されていない宇宙本質の断片的な入り口と言えます。

”意識的な知識”という側面から見ることも大切で、同時に 公式や定義づけをして、型にはめて考えるものだけではないので注意が必要です。

「スピリチュアル」という言葉は、表現の仕方の一つであって、空気を大気と言ったり、人間を知的生命体と言ったり様々な表現方法があるように、本質の断片を言葉で表現していると捉えるようにしましょう。

ましてや、オカルトや宗教ではなく、それらをいったん置いておいて、一切、切り離して考えるべきものです。

また、こうしなさい!!ああしなさいと指示をしたり、強制的なことを行うことではありません。あくまでも”自ら”行動し自ら気づいてこそ、意味があります。

宗教は自由ですが、宗教というものに改変しなくても、人はすでに”心”を持っていますから、自分自身で人生を豊かにしていくことを考えることが大切です。

俗にいう、霊的なものや、超能力的なものばかりを追わなくても、もっと言葉を変えれば哲学的で、”心”を感じることそのものがスピリチュアルです。

もっと身近に感じているものがみなさんあるはずです。悩んだり、葛藤したり、涙したり、そういったことすべてが心と密接に関わっているものですよね。

絆や、真心、そういった心の豊かさは社会や人生を輝かせる力になります。人が幸せに生きていくための思考能力を養うことこそが、スピリチュアルの役割ですね。

あなたが誰かを大切に思うその気持ちだって、スピリチュアル的エッセンスです。身近で感じて学んで、心を成長させていくものが、哲学であり、スピリチュアルです。

そして、感じるものであり、現実や言葉や目に見えるものだけに頼るのではなく、自分自身が決めて、進んでいく道を築いていくためのものです。

”見えない何か”に頼ったり、神頼みしたり、そういった考えでスピリチュアルを見ようとすることは大きな誤解です。

見えているはずです。自分自身の心をあなたは感じていますよね?それが目に見えないのに存在する事象の一つです。

不思議なことは世の中起こりますが、不思議なことが起きるのは、強い心と頑張りと、優しさと、絆・・・もっとたくさんの「愛」がいろんな形で紡ぎ合わされ、物事を動かしているんです。

そして、

ただ、感じてみる。自分自身がどう感じるか、物事の本質を見極める力を養い、自分自身はもちろん大切な人、仲間、家族、取り囲む人たちと幸せを共有し、高めあい、人生や社会を豊かにしていくためのサプリであり、エッセンスであるととらえることができれば幸いです。

スピリチュアルというものは、自分がどう感じるか、どうとらえるかが重要で、主観的なものです。
答えなんてないし、正しいとか間違っているとか、そういう次元のものじゃないです。
そのスピリチュアル的な価値観を人に強要することはあってはいけないし、それと同時にその人の持つスピリチュアル的な

価値観を否定することもあってはいけないことなんです。すなわち自由です。

中には、スピリチュアルを否定することは人間性が低いなどと暴言を吐くスピリチュアルカウンセラーもいますが、

それは全くの見当違いですし、スピリチュアルを意識することができる人間が優秀であるということも全くありません。

むしろ、全てのひとがスピリチュアル的存在です。

ただそこにあるのは、生きていくうえでの何かの指針になることがあるかもしれない・・・と、感じればそれでいいんです。

この世界は物質的な世界ですが、上記でも述べた通り、目に見えるものばかりじゃないはずです。その一つが”心”ですよね。

答えを求めれば見つからなくなることもあるかもしれませんが、”真理”はいつだって一つです。

答えは何通りも作り出すことができますが、真理は作り出すものではなくすでに存在しているものです。

「生きる意味」なんてことを考えるよりも、「どう生きれば幸せか?」と考えることができれば真理に到達できるかもしれません。

人を愛することも、涙することも、喜ぶことも、幸せも、そこには必ず心が密接に関わっています。

だからこそ、スピリチュアルという概念はこの世に生まれたわけです。

ロボットの世界では決して生まれなかったでしょう。

悩むことも幸せを感じることも愛することも、心がなければできません。

心を持っているという時点で、あなたもスピリチュアル的な存在になるわけです。

そして、
たとえば、例を挙げてみると、

世の中は「原因と結果の法則」でなりたっているというスピリチュアル的概念があります。

これは、悪いことも、いいことが起きたことにも必ず原因があり、そこから何かを学ぶチャンスを与えられているんだよ?

と、一見当たり前のような考えでも、これをスピリチュアル的にとらえることができる人は、どうして自分ばかり嫌な目にあうんだ…。
などと悲観ばかりせず、きっと何かを学ぶための試練なんだ、これはチャンスなんだ、自分にとって必要な出来事なんだととらえることができれば、

前に進む活力になったり、生きていくうえで、心に余裕を持つことができる考え方になったりするわけです。
これっておいしいですよね。

世の中に無駄なものなんて一つもありません。必ず、”何か”を導き出すエッセンスを引き出します。

要するに、自分にとってプラスに働く概念や発見、悟り、結果、であるととらえることができれば、その人にとってそれでいいわけですから、否定しようがありません。

そこで気づいたことが人生に役立つならば、スピリチュアルをもっと”普通”にとらえたほうが何倍もおいしいです。

きわめて主観的で、自分がどう受け取るかでスピリチュアルの存在意義は変わってきます。
スピリチュルと聞くと、前世はどうだとか、オーラ、霊能力、超能力などオカルト的なものばかりを連想しがちですが、
それを切り離しても、スピリチュアル的概念は成り立つものです。

スピリチュアルというのは、自分と向き合う姿でもあるといえるからです。

目には見えない自分自身の心や力、潜在意識を感じ取ろうとすることがスピリチュアルともいえるのです。

自分という素材をどう料理していくのか・・・その前向きな姿勢や向上心が生き方の軸を形成し、精神的な啓発につながります。

その自分の人生を料理していく過程でスパイスやエッセンスとして取り入れていくことがスピリチュアルの存在意義かもしれません。

また、信じがたいまるでファンタジーのような概念や出来事もスピリチュアルではよく語られますが、信じるも信じないも自由であり、ある部分は取り入れるけれど、この部分は切り捨てると割り切っても大丈夫なんです。

取捨選択し、寄りかかるのではなく、自分の生き方を積極的に形作るうえで、信念やポリシー、または哲学という名の心の軸を作っていくことこそが本当の意味でスピリチュアルと向き合う意味になります。

哲学とは似ているようで、きわめて近いところで共存しているものかもしれません。

いつの日か「意識の科学」として、学びのツールになる日がくるかもしれませんね。