Linobase

自然とつながる

ミニマリスト。目指したいのはミニマムじゃなくてミニマル。

記事内に商品のプロモーションが含まれる場合があります。

「ゆったりと生きる」ということの中には、ナチュラリーに生きる~とか、本質的にいきたい~とかまぁ、願望というか希望というかそんな感じで”ありたいな”ってニュアンスのエッセンスを散りばめながら営む感覚になるんですよね。

 

それを目指していなくても、心が求めるライフスタイルを体現していくと、そんな感じになるのはある意味、必然かもしれないよなぁ…なんて思うこの頃です。

 

 

「おしゃれ」とか、「かっこいい」とか、そういうトレンド的な意味合いのものの中にも顔を出しちゃったりする生活スタイルなんだけれど、実際にそれをやっている人たちの中にはそんなつもりもなかったりするわけで。

 

実際、”自立”っていう言葉がずっしりとのしかかるような生活とも言えたりするからねー。実際、大変なこともあったりするから。でも、自分でやる!っていうか、自分がどこまでできるのかっていう面白さもあったりして、それが結果的に環境とか、身体とか自然に良いなら最高じゃんってね。

 

決して、義務感だったり、しなければならないって感覚ではなくて、ゆる~いわけです。私の中ではですけど。

 

それは、ミニマリストっていう概念にも言えて、ミニマリストの中には、ミニマとミニマっていう二つの言葉が見え隠れします。

 

おそらく、ミニマリストと言うとき、ミニマの方を指しているはずだとは思うんだけれど、どうでしょうか。

 

 

ミニマという言葉の意味は、

 

最少単位で、絶対量を表します。

とにかく少ない、絶対的に少ない、そういう半ば強制的な枠に収めようとする窮屈な印象があります。

 

反対にミニマは、相対的に捉えるものです。相対的とは基準によって変わるということです。

自分が設定した基準をもとにするので、強制的な窮屈な印象はありません。

 

似ているようで微妙に違いますよね。

 

目指したいのはミニマムではなくてミニマル。

 

自分にとって必要なものまで我慢するのではなくて、自分にとって必要最低限の中で質のいい生活を自分なりに送りたいわけです。

 

このニュアンスの違いを捉え間違えると本末転倒になっちゃいます。

 

よそ行きの靴、普段の靴、ランニングシューズ、野良仕事用の靴。このぐらいで私は十分なので、随時あっても4足くらいしか靴は持たないとか。こんな風に考えるのが、ミニマルなのかなと思います。とにかく1足で十分と本人が思うならもちろんそれもあり。

 

でも、たとえば、靴を100足持ってますみたいな状態は欲望の体現って気がするので、ミニマルとしてはどうなのだろうか?と、考える上では例になるとは思います。

 

ミニマムに対してひとこと言わせてもらえるならば、ただ何も持たない、とにかく少なく持つことを美徳にしちゃったら、自給自足なんて成り立たなくなっちゃうんです!!。

 

それこそ、何もできなくて社会に全部依存して生きてます!って言っているのと同じじゃない?それ。と思ってしまうんです。とても危険な発想。

 

暮らす上で必要なものはきちんと”ある”という状態が健全だと思います。

 

相互依存と共依存という言葉がありますが、自立した者同士の依存は相互依存と言えて健全性がありますが、共依存は健康的な状態とは言えません。

 

まさに、社会にどっぷり依存するのは、社会と個人の共依存って感じがします。企業と個人とも言い換えられるかな?破滅的な香りがするのは私だけ?

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ –

佐々木 典士
836円(04/26 02:23時点)
発売日: 2015/06/12
Amazonの情報を掲載しています