思うこと。希求。それは…

世の中は相対的なもの。自分のイメージを作り出すための行動だけが意味を持つ。

ある哲学書みたいなものに書かれていた一文に、世の中を相対的に見るのはそもそも愚かなんだ的な事が書かれていました。それでいろいろと考えさせられたんですよね。貧乏とか金持ちとか、いいとか悪いとか、常識とか非常識とか、中心を設定して相対的に見渡すとそんなふうに世界は見えますよね。

 

人間として生きる上でガッツリと本質から外れた生き方を現代の人はしているということもその本の中では指摘していて、それには全くの同感だったのですけど、それだって相対的だよなーなんて考えたりもしたんです。

 

矛盾と格闘するのが面白かったりもするんですけどね、哲学って。ああでもないこうでもないと思いを巡らせてると堂々巡りなんてことはたくさん。

 

結局、その人自身の心が何を求めて、何をイメージして、何を考えているかによって現実が作られているわけだから、たとえ本質から外れていたとしても、間違いとは誰も指摘することはしちゃいけないのだと思ったわけです。

 

いけないというより意味のないことのようにも感じるわけです。最後には自分で気づくしかないとも言えるのかな。匂わすくらいにさらっと考えを言うことはあるかもだけれど。

 

「これが人間としての本質的な生き方なんですよ」と、提示したところで、その人の心にそれらしい希求も種もなければ、鼻で笑われるか、スルーされるか、見ないふりするでしょうし、頭で理解していても気持ちがついていかなければ偽善や建前で覆い尽くされてしまうだろうし、仮にその生き方をしたところで苦しむでしょうし。

 

私なんかは、将来的にはパーマカルチャーを軸に自給自足に寄った暮らしを作っていこうと今も準備中だけれど、それはあくまでも私という人間が私の心がそれを単純に求めていて、現在の社会で当たり前とされている生き方に共感できないし、限界を感じているということがあるからなんです。限界を感じているというか、限界に達したと言うか。

 

私という人間が、今回の人生でそれを選ぼうとする意志と心が備わるに至ったに過ぎないということなわけで、言っていることがよくわからないかもしれないけれど、言いたいのは私は誰かに言われて強制的に自分の生き方を選んでいるわけじゃないということなんです。

 

環境問題が叫ばれているから環境問題を考えるようになったわけでも、人間の暮らしは農がベースにあるべきだと本に書かれていても、それを読んだからじゃあそうしようって思ったわけでもないんです。

 

私がそうしたい!!そう生きたい!!自発的にそう思ったからその方向を見つめているだけなんです。

何よりも楽しくてワクワクして、満たされるんです。イメージしているだけだったとしても心がふるえて、高揚感に包まれてぐっすり眠れたりとか。現実とのギャップに冷や汗をかくこともあるのだけれど。

 

ただ、そういうものに導かれるのはその道に行ってOKだよって後押ししてくれているようにも感じるので勇気が出ます。

 

ちょっと精神世界の話になってしまうけれど、時代によって生まれるタイミングを私自身(意識)が決めているのだろうと思うわけです。

 

高度経済成長よっしゃー的な時代に私はきっと生まれようとはしなかったはず。もっと言えば過去も未来も同一のもので同時に存在しているという概念をかりれば、私の意識がもっと求めるものがより自然的なものならば、アダムとイブの時代の地球に生まれて自然を満喫した人間らしい暮らしを堪能しているだろうということなわけです。

 

夢のようなユートピアは地球上の過去にもあったわけだし、未来にもある。

 

こんなことを言うと誤解されてしまいそうだけれど、そんなことを考えていたら絶望も失望もほんとにバカバカしいものだなーと感じてしまったんですよね。この時代で前向きに、淡々とやることやって進んでいかないとならないわけなので。

 

時代の転換期なんて言われている昨今ですが、さらなる拡大という”発展”を目指しているのか、それとも収縮という”発展”を目指しているのか。どちらなのでしょうか。同じ発展でも意味も含まれるエッセンスも全く違います。

 

世の中は誰かが変えているわけでなく、歴史的には誰かの名が残って先導しているように描かれていたとしても、ある必然性が働いているに過ぎない。

 

歴史を振り返ると5000年単位で文明は衰退と繁栄を繰り返しているという事実がありますよね。過去に繁栄した文明があったとされる現在の地域がこうも混乱しているというのも因果関係はもちろんあるんだと思ったりもします。

 

教科書で習った、メソポタミアとか、インダスとか、エジプトとか、黄河とか、インカとかそのあたりの時代の文明しか人類は把握していないけれど。ちなみにエジプト文明で出来上がった政治のシステムを今も使っているんだそう。衰退した文明の政治システムが日本に持ち込まれたのはいつなのでしょうね。

 

話がぶっ飛んだ方向に行ってしまったので戻しますが、これからやろうとしていることは、じゃあ全部がなくなってしまった後、全部無駄だったと気付かされた後に人類は何をしたらいいのかということのデモンストレーションのような気がしたりもしています。

 

要するにリセットと同じ意味を持つのかもしれない。これは想像ですけど、日本の縄文時代ってリセットの結果だったりもしてね、始まりじゃなくて。繰り返す必然性っていうのも真理なのかもしれません。

 

ああだこうだと戯言を放ってみたけれど、最終的には自分の生きたい生き方を体現するために行動していくだけということなんだと思うんです。誰かに強制されることもなく、強制することもなく、自分で選択して、選択した責任を誰かになすりつけることなく自分で背負って。

 

だから、これからも社会の中で人々の生き方は対極まで二極化するのでしょうけど、あるところまでは2つの世界が同時に存在しているみたいになるのだと思います。それはそれで刺激的な世の中だと思ったりもします。不謹慎かな私。

 

その中で自分が社会に対してできることがあれば、それが仕事になるのかもしれないし、暮らしを作るという営みと、社会に対しての仕事という二足のわらじになるのかもしれないですね。

 

人生まだまだ、長いからなー。どうなるのかは検討もつきませ~ん。

 

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   自然農法 わら一本の革命

 

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