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自然とつながる

欲を抑えたら、人生はもっと豊かになると思う。

一輪の水仙

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荒れた草地に一輪の水仙が咲いていました。ちょっとリスペクト。しばし見つめていたら、すごいなーってこみあげてくるものが…。

 

求め過ぎていて、

いくら探したってみつからないものを、探し続けているあの人とすれ違い、通り過ぎていく度に、

 

「もっと楽に生きられるのに」と言いたくなる時があります。この水仙は探しものをやめて淡々と自由に生きているように見えた。

 

でもたぶん、その感覚は誰かに言われて気づくものではなくて、自らつかみとるしかないもの。言葉で伝えてもその人の心の本質までは変えられない。

 

なんて思ったりもするから厄介で、無力感を味わうことにも慣れていく。

 

幸せになる方法のマニュアルや思考本みたいなものがあふれてますけど、ほとんどが役に立たないと思っています。こんなこと言ったらおこられるかな。

 

結局は、もがき尽くすしかないんだと思うんです。さらに、もがいているときに孤独から逃げないで味わい尽くすのも必要なのだと思うんです。

 

自分から逃げないというのは、世の中の俗っぽい「いろいろ」に手を出してごまかそうとしないこと。

 

そうするとやがて、いろいろなことが茶番でしかないことに気づき始めて、やってもやらなくてもどっちでもいいや~て楽に構えられるようになったりもするのかな、なんて生意気にも思っています。

 

世の中や社会の価値観にコントロールされるのでなく、自分で取捨選択してその時々で社会の流れを利用して、あえての茶番をするということもできるようになる。全部無駄だよ、なんて絶対言えないんだから、きっと茶番はこれからも続くのでしょうね。

 

人間としてのあるべき姿の本質を突き詰めて考えていくと、”すべきこと”がどれだけ少ないかに驚くことになるんじゃないかな。

 

本来は、汚れるから掃除するはずなのに、掃除するために汚しているような本末転倒な世の中が見えてきたりもして。

 

結局あの人は、社会の中での立ち位置に不安を抱え、周りと比べておびえているに過ぎないんじゃないかと思うんです。それって、ちょっときつい言い方をすれば、虚栄心とか野心が形を変えて顔を出しているだけなのだと思えてきます。例えるならブーメラン、自分で投げて自分に返ってきてる。

 

それはまるで、苦しみを自分でわざと生み出しているようにも見える。そういう苦しみって大衆性があるから擦り付け合って、さらに疲弊していくという現象が社会の中で起こったりするのをよく見ます。

 

その現象は、その社会そのものが、もはや本質から外れて進んでいるというメッセージを放っていると私は捉えています。要するに、そういう苦しみってある意味では幻想なんだと思うんですよ。

 

本当の苦しみは理解し難く根が深いもの。意味のある苦しみは誰かに簡単に語れるほど浅いものではないし、大衆性はないと思っています。

 

だからこそ、思いがけない実りを得ることがあって、たぶん語れることがあるとすればその実りの部分なのかなと最近は思うこともあります。

 

でも、それすらも伝える意味があるのかはまだわからない。

 

それこそ、自分自身の生まれてきた目的を知るための鍵になるかも知れないと思うから。わかりやすい言葉がみつからないんですが、気づきって自分の経験からしか生まれないんですよね。

 

そういう本当の意味での魂にしみ込んでいくような気づきって、ものすごくパーソナルなものの気がするんです。

 

その人にしか理解することはできない、ということもきっとあるんだと思うんです。だから、語りようがないということもあるわけです。

 

千差万別な人生が存在しているということの意味にもつながりそうな気がします。

 

 

「魂の成長」という概念はすべての人に当てはまる普遍性を帯び始めた言葉として、その本質を受け入れている人たちは多くいると思います。

 

魂の本質は「成長”したがっている”」ということだから、なんで生まれてきたんだろうと自我が思ったり、生きるのがめんどくさいと感じてもどうしようもないわけです。成長”すべき”なのではなくて成長”したがっている”という、このニュアンスの違いがどれだけ厄介か。

 

「わが魂よ、いいからほっといて思う存分、蝶が舞う花畑で寝ていてくれたらいいのに!」なんて思うくらい、生きることが苦しいこともあるわけですからねーきっと。

 

ただ、それ以外にも好奇心とか、単純で純粋な目的もそれぞれあるんだと思うんです。もちろん成長というエッセンスに内包されている諸々ではあるとは思うんですが、個人的な思いとか、役割とか、したいこととか、経験したいこととか、懺悔したいこととか、いろいろと。

 

まぁ、どんな生き方でも学びのためとか、体験するためとか言えてしまうわけなんですが、たとえ苦悩を抱えていても、

 

最終的には欲さえ出さなければどんな生き方でも、ちゃんと生きられるし、豊かにはなれるよね(*´・д・)と、しみじみ私の心の軸に浸透していく思いがあります。

 

結局そこだよね、と。

 

欲を抑えていかなくてはいけない時代に突入してまっせー!と私は思うのですがどうでしょう?