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自然とつながる

エネルギーの高い言葉で心とつながりを強化する。言葉遊びしたくなってきた。

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「管理する」を「見守って整える」に置換するとエネルギーは半端なく高まる。

 

意味合いが全く違うと思うかもしれないし、うん、これは同じ意味だよねって思う人もいるかもしれないですね。

 

「管理する」だと独善的で支配的なエネルギーを少々帯びてしまいます。いや、控えめに言って結構よくないエネルギーを感じます、個人的には。

 

エネルギーでも、波長でも、周波数でも、振動数でも呼び方はなんでもいいんですが。

 

日本語って情緒的な言語だと聞いたことがあります。だからもっと、かしこまったというか、お堅い組織とかなんでもいいんだけど、そういう社会の基本的なフレームの中でも、情緒的でポエム的な言葉や名称をもっと使えばいいのになーってほんとに思います。

 

「管理者」という立場も、もっと情緒的な新しい呼び方を考えたらさらに高いエネルギーで仕事ができるようになって、社会が会社が組織がコミュニティがどんどん素敵になって行くんじゃないかなって思ったりします。

 

それに気づいている組織や人はたぶん、それをもう実践していてほんとに素敵になっていたりする気がします。

 

それは特別じゃないんですよね、例外でもないんですよね。それを単純にやれば、どんな組織だってそんな風に優しさを帯びるのに…。

 

 

人によっては気恥ずかしさを感じたり、なんかくさい感じというか、そんなふうに思ってしまって、無機質で事務的な言葉を使ってしまうことが、無難というか常識というか、そんな雰囲気になってしまうのも分かります。

 

でも、もうそういうのを越えて、どんどん言葉遊びをしても良いのかなって私はそんな風に最近、思っています。

 

私は情緒的な言葉がとても好きで、使ってしまいがちなんですが、学生時代にプレゼン用の原稿なんかを書いて教授に見せたときに、君はとても情緒的な言葉を使うんだね、と言われて気づいたんですよね。

 

情緒的って何それ?って感じの言葉も知らない若者だったのが恥ずかしいんですが。

 

私にとっては普通というか、自然にそうなっちゃうから、この教授はどうして不思議そうな目で私を見つめるんだろうって戸惑ったりもしたんです。

 

へ~、私って情緒的なんだ~と認識した瞬間でした。

 

 

とくにそれで書き直せとか、言われることもなく、普通に提出して発表したりしていたんですけどね。

不思議そうに見つめるんです。その教授、いつも。

 

私もまだ10代で、この後社会に出てからそれがどんなに生きにくさを演出するのかも知らないまま、純粋に自分が心地よいと思う言葉に変換するのが癖でした。

 

社会人になって、いろいろな人や組織に触れる度に、なんとなくそういう自分を隠すようになっていった気がします。

 

とても現実的で当然のように複雑さを振りかざしている人に出会って話をするたびに、それが悔しくて、私も自分の中から溢れてくる言葉をぶつけたことがありました。

 

確かにそれは正しいのかもしれないけれど、どうしてこんな風に考えられないの、私はこう思う。それはこんな風に考え方を変えられる。そんなことをガーってぶつけたんですよね。

 

その人は、私の話を否定することもなく、淡々と聞いていて、リアクションがないというか、ポカーンとしていたんです。そしてその人から出てきた言葉が、「あ~なんかわからんけど癒されるわ~」だったんです。

 

しかも、無機質に淡々と(笑)そんな言葉を言うようなトーンでもなく。

 

私もポカーンでした、その瞬間。あれ?みたいな。そういう感じ?みたいな。

 

その時に、押し殺していた自分のコアな部分がものすごく震えたんです。もっと、言っていいのかなって。自分も癒されたというか、そういう自分を認めてあげられたような感覚かな。

 

そんなことを朝のゆっくり時間に、ふと思い出して今、こんなことを綴っていたりします。

 

スピーチしなければならない場面とかで、そんな風に自分の思いを純粋に表現するたびに、周囲はなんとなくポカーンってするんです。

 

あれ?なんか自分アウェイだったかも…と、夜になって急に後悔したりすることもあったりするんですけど、後から、自分の表現が間違いじゃなかったと思えることに出会えたりするんですよね。あ…ちゃんと伝わっていたんだって思える瞬間が。

 

それは同僚だったり、少なからず、自分と立場が近い人たちと関わる中で発見するいろいろだったりします。社会を必死に生き抜こうとして仮面をつけてしまった同志たちというのかな。私もそのひとりだし。

 

みんな、恥ずかしんですよねきっと。うん、全然わかる。私も結構恥ずかしいと思うこともあるから。

 

でも、そういう部分ってことごとく今の社会だと奪われる場所が多かった。だからたくさん泣いたり悔しくて、自分を見失いそうになってしまう。

 

そういうのを奪われたくなくて、逃げ回っていた気がします。どこかで、こういう自分で良いんだって、自信がないようで自信があるような、よくわからない信念みたいなものが確かにあったように思います。言葉で表現するのが難しいんですが。

 

自分自身が優しい気持ちになれたり心地よい気持ちになれたりする言葉ってやっぱり情緒性を帯びるんです。それは特に意識していたわけではないけれど、気づかないうちに周囲にも素敵なエネルギーをおすそ分けしていることに気づいたりすることがあります。

 

受け取る側も発信する側も感覚が心地よい言葉を意識して使っていきたいと改めて思います。これからはもっと。

 

意識しなくてもポエム的な表現をしちゃうんですよね、リアルの場でも。

 

言霊なんて言ったりするんだから、いいことしか起きないよ、きっと。