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自然とつながる

敏感で繊細で感受性が強いって最高じゃないか。気を使うということは奉仕精神の最小単位だと思う。

敏感で繊細でいい。

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気を使いすぎて疲れてしまう人ってきっと多いと思います。私もそういうタイプです。

 

「気を使いすぎなんだよ」って言われてしまうこともあったりしますけど、それはねぎらいの言葉として受け取っています。

 

ありがとうって・・・。

 

気を使いすぎて疲れること、確かにたくさんありますけど、そんな人間でよかったと私は思いたい。というよりそんな風に自分を自分自身が思ってあげなくちゃ、やりきれないこといっぱいありますよね。

 

気を使うということは言ってみれば、簡単にできる無意識の奉仕精神だと私は思ったりするんです。

根本的にあるのはやっぱりみんながいい気分でいられたらそれに越したことはないという気持ちからですよね。

 

それに意識しているわけでもないですよねきっと。意識して気を使うなんて私には無理なんです。意識して気を使はないということはできるかもしれないけれど、たとえ鈍感なふりをしてみたって、それもそれで逆に疲れてしまったりもする。それこそ偽りだから。

 

その場その時で、自然に気づいてしまうだけ、見えてくるだけ、感じてしまうだけ。気づいてしまえば、感じてしまえば、見えてしまえば、もはやそれらを無視なんてできない。自分の中に芽生えた感情をないことにすることなんてできない。気づいちゃったらその気づいたことに基づいて自分の行動は促されているというだけに過ぎないわけです。

 

今の世の中を生きていくには鈍感力も必要なんだと聞こえてきたりもするけれど、そんなこと言われたって生まれてきた自分の資質を根本から作り変えるなんて出来っこないわけで、そういう自分を受け入れて守ってあげるしかないという結論に落ち着いて今に至ります。

 

それに尽きますね。自分を自分が守ってあげるということ。ほんとそれに尽きる。

 

そんな風に思えるようになって生きられるようになったのは30代に入って、ここ数年でしょうか。損得で言えば、「社会」の中では損することの方が圧倒的に多かったように思いますが、それも含めて折り合いといいますか、自分をいたわるという意味でも、受け入れたといいますか。

 

「内的な世界」では味わい深いいろいろに触れることもたくさんなので、私なりの哲学や信念、精神的な部分では多くの実りがある人生だと感じていたりもします。

 

 

気づく力が高いということだから日常や仕事の中で活かされている資質だと、主観ですが思うことも多くあります。ポジティブに考えればもちろんたくさんメリットはあるわけですから。

 

 

先読みして準備したり、求められていることに対するレスポンスも早い。気づいたら即やるって人多いんじゃないかな。

 

どこか情緒的なことだったり精神的なことに結び付けられやすい資質だけれど、物事の根本を見つめているので、以外にも合理的な行動や考えに結びついたりで、結果として本質的な議論や結果を得やすかったりもする。

 

これってものすごい強みですよね。

 

気を使うということはものすごく広くいろんな部分に反映されていると思うんです。読んで字のごとく”気”を使うですからね。エネルギーを使うということですから。利他的な方向に結果的に気を使うから疲れてしまうわけなので、それって決して悪いことじゃない。

 

ちょっとポジティブな方にバイアスかかってると思うけれど、おそらく気を使うことで世界が悪くなるなんてないんだから、このくらい言っても良いのかなって。ご勘弁を。

 

 

気を使いすぎてしまうことのデメリットと言えば、自分自身が気づかないうちに精神的に疲労感がたまってしまうことくらい?後は利用されやすいということもあるかもしれない。

 

でも、逆に誰かの優しさや思いやりに触れたときの幸せホルモンの感受性も強いから幸福感を抱きやすいというメリットもあります。些細なことに感動するから幸福感を得やすいというのは私自身実感としてありますね。

 

詐欺にはひっかかりにくいということもメリットかもね♪なんというか、嗅覚が反応するんですよね、ムムムって。

 

利用されているということも騙されているということも分かった上であえて、乗っかるというかそのままでいるということも多いと思うんですが、その場合、キャパを越えると静かに去るという現象が起きると思います。バイバ~イ♪

 

自分にとって大切な何かなら、まるでいつもの自分とは違うような雄弁で饒舌で堂々とした態度で意見をぶつけて周りを驚かすことも多いのですが、たいていの場合、静かに去ります。(私の場合)

 

そういうとき、ある意味ではものすごく薄情なのかもしれません。ドライと言いますか、まるで何事もなかったかのように振る舞えたりします。パワハラにあっても、セクハラにあってもです。残念ながらこの世の中には理不尽があふれているのです。

 

問題の本質を置き去りにして何も語らずに去っていくので、結果として残されたその場所は何も変わることはないわけです。

 

何も言わずにサヨナラするということを私はたくさんしてきました。誰かと関係を終わりにするときも、仕事を退職するときも静かに自分がそこを去っていくという選択をしがちです。

これはいいのか悪いのかはわかりません。こういう両極端な面を持っているのも、もしかしたらHSPの特徴なのかもしれません。

 

無責任と言う言葉も聞こえてきそうですが、自分にとってその場所は大事な場所ではなかったということなのです。もちろん、何かを得れば何かを失うということなので、結果として私自身も失うものはありますが、潔い方法だと思って甘んじて受け入れることにしています。

 

これは私なりのひとつの逃げ道というか、自分を守ってあげる方法の一つなのかなって思っています。

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繰り返しになりますが、そういう理不尽なストレスでキャパがいっぱいになったときに、どんな逃げ場所があるか、休息できる場所があるか、そして自分を守ってあげることができるかというのはとても大きなポイントになると思います。特に敏感である人はなおさらですよね。

 

自分なりのストレス発散方法とか、逃げ場所とか、隠れ場所とか、心許せる誰かとか、そういうオアシスをたくさん見つけておくことがやっぱり大事だよねって思います。それが難しいところでもあるのかもしれないですが。

 

 

幸いにも、小さな幸せは意外にもたくさん散らばっていて、そういういろいろに心ときめかせることができるのが敏感な人間の最大のメリットでもありますね。

PS.気を使い合うっていうことはお互いに気持ち良く過ごすため、思いやり合うための最小単位の奉仕スキル。寄りかかることもなく、寄りかかられることもなく、支え合うためのスキル。give and takeはお互いにgiveしあうから結果として成り立つもの。takeを期待してgiveしてるわけじゃない。