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それでも続くんだよ、暮らしは。夢で見た未来の日本?

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大きな嵐が近づいている?どうやらそれは避けられないのかもしれない。金融システムも、不動産システムも大きな変化。これまでにない大きな変化が迫っているみたいで。まるでふるいにかけられているかのような出来事が起こり始めている。ここから二年以内に、経験したことがないようなくらい社会に大きな変化の波が来ると。

 

それはきっと、私たちが望んている世界への緊急の事象なのかもしれないし、見かねた何者かが、大きな存在がちょっと粗治療的に行動を促しているのかもしれない。

 

でも、何が起ころうとも暮らしは続くんだよ。生きている限り、この三次元(四次元)の世界で肉体をもって生きるという経験をするのならば、それぞれの営みは続くということ。

 

じゃぁ何をするのか。一日の始まりに何をする?暮らしの中で自分と向き合えるパーソナルな時間。暮らしって本当はアートだったはず。時間をいっぱいに使って表現することそのものが暮らしだったと。だから昔の人はものすごい精巧なアートを暮らしの中で表現してた。例えば古い建築物とかを見ても、それは見える。

 

暮らしの手仕事だって自分と向き合える貴重な浄化の時間だった。時間をかけて行うお掃除。季節ごとに仕込む保存食やお庭のお手入れ、空間を装飾して精一杯の精神性を物質的に体現していく。それが暮らしだった。

 

そして現代、自分を見失いそうになるくらい、本質から遠ざかっていくような諸々が社会に組み込まれ、静かに自分と向き合う時間もじっくりと手仕事に向き合う時間も貴重な時間になってしまっている。だから魂がときめくそういう一つひとつの手仕事に夢中になれる時間が私は愛おしくてたまらない。もっと、もっと、そういう時間が増えていけばいい、いや、取り戻していこうと自分自身にもおまじないをかけていく。

 

あと少し、もう少し、きっとそれは来る。あの日に近づいて、また日々が輝きだす。日本が世界がキラキラ輝きだす。だから何も心配はいらない。大丈夫だから今できることをしよう。思いついたことをやっていこう。

 

夢で見た未来の日本?

とても幸せな夢で、わくわくする夢で目が覚めても風景が焼き付いていて離れない。忘れないうちに書けることを書いておこうとメモをした。

 

たぶんそこは日本で、広がる風景は里山のような自然がいっぱいの場所。でもここが未来だと思うのは遠くに見える場所に大きな建物が建っていたから。大自然の中にポツンと大きな見たこともない人工的な洗練された建物が建っていたから。丸くて太い巨大な柱に龍が巻き付いているようなデザインの建物で、どうやって作られているのかも見当がつかない。

 

街並みと言えるような風景はどこまで行っても見当たらない。大きな巨大な公園のような場所に点々と個性豊かな家が建っていて。どれも素敵な家。家々の距離は遠く、お庭でどんなに騒いだって近所迷惑なんか起こらないような距離感。

 

でも、ものすごいテクノロジーが暮らしをさりげなく支えているのもわかった。車も走っていないし、アスファルト舗装の道路もない。だから多分少なくとも数十年先の未来というよりは数百年なのかもしれない。

美しく整備された遊歩道のような道が家々に伸びていて、周囲は美しい草花で装飾されている。それらは家々が管理しているようで、アートのような風景が広がっている。

 

こういう世界が三次元的な世界で体現できるのかとものすごく興奮した。でも、デストピアがあるならユートピアだって物質世界で体現できないわけがない。理想の社会なんてあるわけがないと散々聞かされてきたけれど、ぎりぎり三次元的で物質的な世界の中で現実化できる最高の世界ってきっとあるんだろうなって思えた。

 

だって、本当に純粋に人生を思いきり遊ぶために、最高のアート体験をするために、この世界に生まれてみたいって思うから。

 

ライフラインは?

 

電気や水道システムもそれぞれの家で完結している。どういった仕組みなのか不思議なくらいに洗練されていて送電線もない、電力は自由に空間から発電される装置があって、水は浄化システムが備わっていて地下水なのか雨水なのか、それらを純粋な水として循環している。まさにオフグリッドな世界が広がっている。

 

そのシステムも機械なのか生物なのかわからないくらい不思議な装置で、機械のはずなのに有機的な動きをする、生きているみたいな機械。それらは人間の意識が原動力になっていて制御されているようだった。

 

移動手段は?

 

半重力装置のついた靴のようなものから、空飛ぶバイクのようなものも。まさにSFの世界。居住スペースのついた空飛ぶキャンピングカーみたいなもので、いろいろな場所を転々としながら暮らしている人がいたのも印象的。

 

そんな超テクノロジーが見え隠れする世界なのに、とても牧歌的で懐かしい風景と暮らしぶりをみんな楽しんでいるみたいに見えた。だってそこは都会的な洗練された人々が田舎暮らしを楽しんでいるようにも見えたから。テクノロジーにはさほど興味がないようにさえ見えて、本当は自分自身の能力開発に没頭している人が多くいた。その意味はきっとこれからの世界でもどんどん明かされていくことだと思う。

 

学校は?

学校と図書館と劇場と公民館?みたいなものが一つになった複合施設が公園の中心にあって、そこに子供たちだけじゃなくて大人たちも自由に行き来してる。そこはある意味で教育機関みたいな機能を持っているみたいだった。

 

ありとあらゆる科目?算数、数学、理科、化学、生物、物理学、量子力学、自然科学、歴史、宇宙工学、建築、日本語、とか見覚えのあるものから木工、絵画、彫刻、陶芸、デザイン、映画、営農、園芸、薬草学、宇宙、地球と月、人間と魂、世界の成り立ち、陰陽、機械、ヒーリング、心理衛生、リトリート、チャネリング、ダンス、祈り、料理、裁縫、動物と人間、他にもほんとにたくさんの科目が。あまり高等と言えるような難しそうな名前の科目がほとんどなくて、細分化された暮らしそのものに直結しそうなものがたくさんあった。

 

他にも定期的に様々な講座のようなものが流動的に開催されていて、好奇心がとまらない感じの場所。いろいろなことが疑似体験できる実践的な空間やまるで魔法のような講座も。ほんとに生きるのがあきないくらいの、学ぶことは遊ぶことだと思えるようなものが目白押し。

 

それも全部を受けるわけじゃなくて、最低限のカリキュラムが組まれてはいるものの、そのほとんどは自由選択で好きに勉強ができる仕組み。勉強というよりは多くの体験の機会を提供しているといった方がしっくりくる感じ。卒業という概念もなくて自分が好きな分野を突き詰めて研究者になる者もいれば、ある程度の知識をその都度習得して暮らしに活かしている人も。ほんとにいろんな人がいて。

 

それぞれの科目に段階があって、より高度な内容になっていくようだったけれど、どの段階でも子供から大人までごちゃまぜに履修しているのが面白い光景だった。先生と呼ばれる人も特に決められていなくて、中学生くらいの子が先生をやっていたり、仙人みたいな人が先生をやっていたり、ある意味カオスな光景がものすごく面白い!!

 

先生と言ってもそのテーマについての適正と才能によって、その場の幹事的な役割を担っていて表現が難しいんだけれど、その先生が中心になって課題の答えを導きだしていくという構成。たぶんこれは今の概念では到底理解できないスタイルだと思う。要するに記憶を引き出すという感覚に近いかも。

 

各々の暮らしはどこか懐かしいくらいにDIYにあふれている。自分で創造することに喜びを感じていて、なんでもできる人がそこら中にいる。個性豊かな庭と家がアートを表現する軸になっていて見ていて飽きない。毎日お祭りのようなものがところどころで開催されているし、好きな時に好きなことをして生活を楽しんでいるみたいだった。

 

今の世界では表現できないようなものもあって、言葉にするとチープな印象になってしまいそうな事象がまるで魔法のように体現されている。

 

仕事は?

社会?を健全に維持するための奉仕活動が一週間に8時間、一人一人に設定されている。いろいろな作業があって、農業的なものから、祈りのようなもの、中央行政システムのメンテナンスや、AIのプログラミング、コンピューターシステムのメンテナンス、苦しみのリサーチ、他惑星への遠征、生活アイテムの製造、それ何やるの?ってものもあって、表現しきれないけれど、それらをローテーションで回している感じ。基本はローテーションなのだけれど、優れた適性がある場合は、自らそれを選択して従事することもできる。

 

最低限、設定されているだけで、義務というわけではないけれど、みんな喜びと感謝の気持ちでそれらに従事していて、とても幸せそうな感じがする。生活するために行きたくない仕事に行っている感じではなくて、それらも生きる営みとして楽しんでいるようにさえ感じた。さぼるという概念がどうやらないらしくて、どれも人気のある社会をつなぐ大事な作業として設定されているようだった。

 

それらの仕事が冒頭に書いた、太い柱に龍が巻き付いたようなデザインの巨大な建造物に集約していて、そこに出向いて奉仕活動に没頭しているようだった。現実の世界では週に40時間が労働時間として基本的に設定されていて、それってお金を稼ぐためにする仕事が大半を占めているけれど、未来は社会を維持するためにみんなの力を集約して効率的に働いている。しかも週に8時間の自由意思による奉仕活動の一環として。それで廻るってもう精神が研ぎ澄まされているまさにユートピアなわけで。

 

基本的に好きな時に好きなこと

後は、みんな好きなことをしている。いろんなものを作ってみんなに配っている人もいるし、芸術活動、料理に運動、映画作り、音楽活動、庭造りに、暮らしの手仕事、季節を味わうリトリート、本格三次元ゲーム、研究、定期的に開催されるお祭りに、講座に出かけたり、または先生になったり、講座を作ったり、プログラミングや自作の機械を公開している人も。基本となるものは社会でみんなで作って、他に作りたいものや表現したいものは各々が自由に作ったり、表現したりしている。

 

あれ?それ仕事じゃないの?ってものまで、「遊び」と「やりたいこと」と「学び」がごちゃまぜなそんな好奇心が絶えない暮らしがそこにはあった。

 

書き切れていないこともたくさん、表現できないこともたくさんあるけれど、でもとても希望が持てるワクワクする夢がいつの日か現実になる日が来るんだと思えた目覚めのひと時。

 

これが夢だとしてもきっと今ここに記せたことはエッセンスとしていつの日か素敵な日々を作り出すエネルギーになると信じています。