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~未来意識へ向けたコラム~

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宗教という形にする必要がないのがスピリチュアル

 

宗教という形にしてしまうことで、多くの人が距離を取りたがるようになった、精神的なこと。
もっと常識的に現実的にリアルに、普通に語れなくなってしまった精神的なこと。現代の人々は当たり前に精神的なことを語れなくなっています。それは宗教という概念が、スピリチュアルを改変し、人々を遠ざけてしまった側面があります。

現実は科学やテクノロジーだけになり、スピリチュアルと表現される様々な事柄の先進的自己啓発を嘲笑する風潮になってしまったのが現代の特徴ですね。

みなさんは知っていると思いますが、世の中で活躍する人、受け入れられているテクノロジーやヒットしているプロダクトなどには、哲学的でスピリチュアルな要素がたくさん含まれています。

なぜ、受け入れられるのかというと、心をときめかせ、希望を抱かせ、心を打つものであるからです。

スピリチュアルを非現実的だという人でさえ、当たり前に深いことを語っていたりするものです。

スピリチュアルとは本来、奥深さ、思慮深さ、情緒性など心の豊かさを表現するものです。

なので、スピリチュアルと宗教を一緒にしてしまうことは、決して良い結果を招きません。

現在、世界的にいくつかが世界の宗教として定着していますが、そのもとになった、教えを説いた古代の偉人たちは、決して宗教を作ろうと、教えを説いたわけではないはずです。

古代の偉人が亡くなったのちに、一部の人びとが、その心の持ちようを説いた故人を”神”とあがめはじめ、様々な事象を改変し、神話的要素を強くしながら、それぞれの文化的要素を肉付けし、宗教という形に変えてしまったわけです。

古代の偉人たちは神様になりたいとも、崇拝されたいとも思っていたはずがないわけです。それが争いを生むことを知っていたからです。社会を構成する人々に優劣や上も下もありません。適材適所、役割分担、多様性、そういった概念を当たり前に心に落とし込めていることが健全な形ですね。

幸せな社会を形成することが未来の形であるならば、これらの基本を心に取り戻す必要があります。あるのは立場の違いだけです。立場は違っても本質的に人は対等であり、平等です。同じ人間です。この立場の違いを優劣とみたり、おごり高ぶったりするならば、精神的な啓発の未熟者と言えるでしょう。

ただ、教えを説くということが、イコール宗教ではないので誤解に気をつけたいところです。

偉人たちのしたことを、言葉で表現するならば「”知っていること”を伝えようと活動し、社会に貢献しようとした」と表現するのが的確だと考えることができます。

おかしいと思いませんか?矛盾してると思いませんか?人類の歴史上、宗教的対立が引き起こした戦争は数知れません。

おかしいですよね?”宗教”という形にこだわるのではなくて真理を見ようとしないと、全く意味がないことが読み取れてくると思います。

冷静に考えればわかると思いますが、どの宗教も真理というのはすべての人が幸せに生きるための哲学的、現在の社会に存在する概念で言えばスピリチュアルであって、(いや、スピリチュアルという言葉にする必要性さえないかもしれません)争いを起こしたり、権力や利権やお金に結びつけるものではありません。

それぞれ個人が個別に取り入れていけばいいだけです。スピリチュアルというのは。

”団体”にする必要性はどこにもありません。

一つ言えることは、宗教という形になるとき、その教えを説いた故人はいません。

現在に例えてみると、若くしてなくなったミュージシャンなどを伝説と呼び、ある種、神格化に似たような現象が起きるのと似ています。

また、宗教というのは”作ろうとして”形成されたものほど本質を理解していない証拠といえます。

おそらく、古代の偉人は嘆いているかもしれませんね。なぜ、宗教という形に変わり、多くの宗教的対立を引き起こしてしまっているのかということを。

宗教という形にしなくても、自己を高め社会やテクノロジーを発達させていくためのベースづくりを行うことができることを知っている偉人は、宗教というものは決して作るはずがないということは予想できます。

また、権力や利権やお金が結びつくと、たちまち、邪悪に変わっていってしまう恐れも出てきてしまう危険性を持っているのが”宗教”です。残念な結果を招き、結果として、素晴らしい真理を語っていたとしても、人は警戒し、心の成長に対して猜疑心を生む結果を招いてしまうわけです。

現代、これだけ敏感になっている社会において、人々を遠ざけてどうするんだという話です。

歴史的偉人はこれを知っていたはずです。

ただ日本人は、神道が文化や社会に当たり前に根ずいているので、もはや神道は俗にいう宗教とはかなり異質で清さを保っています。

神道というのは日本の宗教と言われますが、全体を包括した概念なので、宗教というより価値観に落とし込まれ多様性や世の中の本質をうまく表現しています。いいとこどりの文化と言われたり、苗字が多かったり、一人称が多かったり、言葉の語彙や情緒的な表現が多いのも神道の中にある価値観が反映されているからです。

日本においては、無宗教だという人も当たり前に神道的エッセンスを組んだ文化や社会的価値観を持っています。

また、言葉を変えれば、道徳的な教えも古代日本から現代の日本まで受け継がれています。資源のない国が経済大国になる理由は、資源の奪い合いではなく、”相互扶助”であり、”力を合わせる”ということを日本文化は象徴しています。

誰かが偉くなろうとしたり、独占しようとする社会は停滞します。みんなで作り出したものから生まれる恩恵を共有したり、自分が学んだことを共有しようとする精神は未来的です。

様々な要素により、不安定な時期ですが、そう簡単に無くなったりしないのが、ひとの心ですし、スピリチュアルと表現された先進的自己啓発への入り口、または超テクノロジーを生み出すための心構えといえるかもしれません。

 

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